tayutauao

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1月3日、少女に戻れない

 

あけましておめでとうございます。

2018年もよろしくお願いします。

 

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さて、文月悠光さんという好きな詩人がいます。

まさしく同年代で、同じように詩やエッセイを書いていはる。

年始に読んだ彼女の詩がとてもよく、そのことをtwitterに書いたら

結果的にリプライをもらうこともできた。

「書くことが好きな同世代の存在、心強く思います」と言葉をいただいたのだけど

それはわたしも全く同じで、文月さんがいてよかったと、何度思ったことか。

「臆病な詩人」と彼女自身が呼ぶ彼女に、わたしは救われている。

書くことも、撮ることも、しっかりやっていきたい。文字通り、しっかり。

 

それはきっと信じることでしょう

 

詩を信じる

哲学を信じる

生活を信じる

咲く花を信じる

昇る日を信じる

照らす月を信じる

 

わたしたちの生きる世界は無限の中にある。

知ってる言葉しか使えない

行ける場所だって(厳密に言えばそうではないのかもしれないけれど)限られている

わたしたちは選んでいるのだと思うの。

選んで、選んで、選び抜いたものが

それぞれの世界の確かさみたいなものになっているはずだ。

 

だから、信じてみたいと思うのです

それって結構、素敵なことなんじゃないかな?どうかな?

 

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今年の目標は幾つかある。

やめられないことがある。

それは、やめられないと言うよりかは

ゆずれないものなのかもしれない。

それはきっと傷つけることだ。

だからわたしがそれをやるつもりならば

それを渡す誰かの琴線に触れるものを

差し出さなければならないと思う。

そのために、しなやかに、泣いたり、笑ったりしながら

わたしはわたしの人生の仕事をしていくつもりでいる。

 

忘れてしまうこと、こわがらずに愛おしさを感じられるように

今年は生きていけたらいいなあ。

真実とは違うことがくっついたり、大切なことが抜け落ちたりして

生きてゆくのは「本当のこと」と離れてゆくことかもしれないけれど

でも、きっとそれでいいから。

忘れてもいい。全然いい。だって思い出せばいいんだから。

 

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ねえ、あなた

わたしを見て、きっと思い出して。

わたしがあなたを覚えている。

誰一人欠くことのできない世界を生き抜いていきましょう。

 

 

 

 

 

 

12月29日、同じ手

 

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「泣いてもいいよ、笑わないから」

さっきぐっさりと刺さった一言のせいで

わたし、きみの話を聴いているようで

聴いていなかったかもしれなかった。

取り戻せないもの、って言葉がそれだった。

失うのがこわくって こわくって こわくって

取り戻せないって本当の本当にわかってしまったら

そんなの、自分がどうなるのかわからないじゃないか。

 

もしも会えたなら聞きたいことがたくさんある

 

変わらないものなんてないと巷ではいうけれど

彼と過ごした時間は永遠だ

 

恋人が死んでしまって悲しい

恋人に会いたい

恋人のこと許せないよ、まだ怒ってるの

そんなことをこぼしながら静かに静かに熱く泣いていた。

 

まだまだ春が遠い冬の日の空の下

ポストに入っていた友人からの手紙の最後は、

「いま、わたしは幸せです」と括られていた。

 

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なんのために生きているんだろ、と思うことがあるんだ。

多かれ少なかれ、誰もが思うことだとも思う。

守るべきものや人のため

新しいものに出会うため

しあわせになるため

破ることのできない約束のため

生きるしかないじゃないか、とか

そもそもそんなものに意味なんてないとか

きっといろんなことをいろんな人が言う。

 

わたしは「しあわせになるため」に生きていると思っていた。

ささやかでもいい、取るに足らないようなことでもいい

それでもああ今日はご飯が美味しいな、とか

ぐっすり眠れてからだが喜んでいるな、とか

好きな人たちと過ごす時間は最高だな、とか

花が咲いていてとってもきれいだ、とか

つまらなくさえ思える毎日の繰り返しだって

それはきっとしあわせなことで、

それらに囲まれて生きることは

「生きることそのもの」の目的になるのだと信じていた。

 

けれど現実は違っていた。

厳密に言えば、それを信じられる時もあるけれど

そうじゃない時もある、といった感じだろうか。

わたしにもしあわせな時間があった。

 

優しい恋人がいて

家族と食べるごはんは温かかくて

たくさん仕事を任せられて

それをちゃきちゃきとこなして

稼いだお金で写真を撮って

友達と旅行に行ったり

笑いの絶えないそんな日々もあった。

羨ましいほどの幸いに包まれていても

わたしは死んでしまいたかった。

しあわせであればあるほどその影は濃く落ちていた。

しあわせがこわかった。うしろめたかった。

そんなこと、誰にも言えなかった。

 

どこまでも続いていきそうな

ゆるやかで たおやかな

現実みたいな生活の夢の中で

うしろめたさばかりなのは なぜ?

 

でも、わかったこともある

 

悩んでもそればっかりじゃない

許せなくても優しくありたい

苦しくったって笑っていたい

悲しくって泣くのは当たり前で

それもひっくるめて笑っていたい

教えてくれたのは18歳のわたしでした。

ずっとそれを知っていたのにね、ありがとう18歳のわたし。

なーんにも変わってなくて励まされたよ。

 

見せてないものも見てくれる人だっている

見せてないのに気づいてくれることもある

 

苦しい悲しいを背負って生きてゆくのかもしれないけれど

それよりもきっともっと大きな強いちからに跳ねっ返されて

わたしはちゃんと世界を好きなままで居られるはずだ、と

今は信じている。信じていけると予感が包む。

 

わたしはお姫様ではないから

しあわせな寓話を生きることはできないかもしれないけれど

くるしいの中でしあわせを知ってる物語を生きてゆくことはできる。

そんな人生がやっぱり好きです。 

 

今年もお世話になりました。

まだ更新するかもしれないけれど

まとめて言いたかったのはこのへんなので

これを2017年の締めくくりにしたいと思います。

 

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いつも同じことばかりを言う拙い文章を

読んでわたしを支えてくれているあなたの手にゆるされています。

あなたは優しいね、と言われることがあるけれど

わたしが優しいのならそれはきっとあなたのおかげです。

それではよいお年を。

 

 

 

 

12月29日、若者のすべて

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たとえば私たちが「若者」ではなくなった時に

それでも若者のすべてという歌があったことが

私たちをいつも、いつまでも若者に帰してくれるだろう

 

あの家に帰らなきゃなあと思わせてくれる曲の始まりや

「胸に響く」という言葉の通りの高鳴る感じ

運命 最後の花火 世界の約束 途切れた夢の続き

散りばめられたそんな言葉たちをいつまでも手に握って

 

志村、ありがとうって呟いて

ぬるくなりかけた珈琲を流し込んで

煙草だってプカプカふわーっと吹いて

大人になりきれないまま大人になって

 

すりむいたまま僕はそっと歩き出すんだ。

 

 

 

 

12月24日、あるゆえ

 

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わたしにはきみのはねた髪で十分です。

( 真剣な疑問や誰にもわからない本当のこと。

 あるいはきみがよく知ってること。

 きみだけの無音の時間も、

 やさしくされたいきみのあつい頬も、

 ほんとうに生きてる瞬く間も、

 そうでない平凡な5秒前も。 )

 

きれいだな。

 

その髪の自由がわたしには感動です。

きっと、そっと触れてすべてをゆるしてしまうなあ。

きみがボロ、とこぼれおちた夜のことも、

きみが朝の空気をすっかりためこんだまあたらしい肺の膨らみも

知れるような気がするんだ

 

 

 

 

 

12月24日、Listen In The Time

傘をさしても

濡れてしまうような

雨の降る夜もあったね

 

鉛を溶かしたような低い空と

夕方オレンジのネーブル

ぐちゃっとしたあの空に

ねえ、かみさまはいたのかな

 

明けないんじゃないのと

おもった夜は

いくつもあったのだが

今のところ

明けない夜は

この世界にはない

 

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今は朝で、

こんな時間に起きて顔を洗って歯磨きをして珈琲を淹れて

昨日の夜の食器を洗い終わって洗濯機も回して、だなんて

わたしにとってはとても稀なことをしている。

いつもこれくらいの時間にようやく眠りについて

昼頃のそのそと起きているのだから変な感じだってするよね。

世の中の人はすごいなあ、と思います。

お弁当を作るために早起きするお母さんとか、

学校や仕事に行くために何回もかけた目覚ましでようやく起きる友達とか、

暑かろうが寒かろうがそれが当たり前だから犬の散歩に行くおじいちゃんとか、

みんなすごいよね。すごいなあ。

毎日を始めることそのものにとてもエネルギーを使っていて

そのために夜はぐっすり眠ったりして

その健やかな営みに恍惚の類のため息が出てしまう。

 

朝は苦手だったんだ。

特に夜明けが。

値踏みできない夜の濃紺と

薄明の絵の具でさっと塗ったような青が混ざり合った時間は

美しすぎて鬱陶しかった。

美しい、と思えるものは大抵この世のものだけれど

美しいはときに乱暴で狂気的だ。

何億ともつけられないあの青を

高校生の頃の友達は絵の具にしてチューブの中にずず、と吸い込みたい

それから部屋中に塗りたくりたいなんて言ったものだけれど

わたしには出来そうもないなあ、なんて懐かしく笑う。

 

思い出の話はいつもあたたかいね

思い出の話が大好きだ。

でも、そればかりしていたら

ずっと大切に着ていたはずなのにいつの間にか少しよれてしまった洋服みたいに

大切であたたかくて美しい思い出もよれてしまうのかもしれない。

衣替えするみたいにたまに引き出しから出すくらいが

ちょうどいいのかもしれないな、なんて思ってる。

 

自分のために書いているこのblogだって

昔話ばかりするのはやめようかなあと思う。

いつも過去はすぐそばにあるから、

もう今となってはうまく思い出せないことや

ちょっとした優しい思い出なんかが

わたしのすぐ隣にいるから

それは切っても切り離せないものだから

明るい未来の話ばかりしようだなんて思っているわけではないにせよ

今を生きているのも確かだ。

人生の美しいと言える営みは今日だって続けられている。

だから、今日の話を、明日きっと起こるいいことの予感を

少しずつ残せていけたらいいなと思っている。

 

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今からあの子やあの人に手紙を書こう。

わたしの大切な友人たち。

たまには今日はいい日だったなって思えるような

素敵な1日を自分で作ってみるのもいいかもしれない。