5月31日、きょうの空
4:00過ぎに眠って12:30に起きた。
授業に行くならいい加減、起きなきゃいけない時間。
『カラマーゾフの兄弟』、大審問官の続き。
自由は重ったるくて厄介なもの。
信じるしかない、というのは自由を奪われるということ。
授業中に「苫米地さんはどう思われますか?」と
名前を呼んでもらったが嬉しかった。
名前を呼ぶというのは、誠意のあることだ。気が引き締まる。
質問には「はい。わたしなら、石ころにキスをして差し出します。」と答えた。
わたしなら、奇跡じゃなく自由をあなたに。
それがたとえどれほどに苦しいことでも、選ぶことを選んでほしい。
わたしは愛をもって苦しいことを手渡せると思う。
食べるために生きるのではない。
眠るために生きるのではない。
なんのために生きているか、あなたはよく知っているはずだ。
帰り道の夕日があんまり赤いから
買った野菜を袋ごと、がさーっと落っことしてしまった。
こんな日はどうしたって奈良の夕暮れを思い出す。
歩いていると、今頃同じように山に向かってその足を歩ませる鹿がよぎる。
みんなその足でそれぞれの場所に帰ってゆく。
今日で5月が終わる。
おなかがすいた。