tayutauao

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6月18日、strobolights

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たまには日記らしい日記を。

 

起きてからギターで遊んだ。

今日は1時間しか弾く時間がなかった。

バレーができないのでBm7は替え指で押さえている。

 

学校に行って、授業を受けて、図書館で本を読んで、

借りていた本の付箋を外して、その本を返して、

 

起きてからずっとAC/DCを聴いてる。

 

2日前くらいから借りたカメラを使わせてもらっている。

たのしくて、堰を切ったように撮っている。

近頃はカメラを持って出かけることも少なくなっていたから、なんだかホッとした。

あと1ヶ月もすれば、写真をはじめて1年になる。

イワオさんに付き合ってもらって買ったカメラ。

たしかイワオさんと会うのは2回目で、雨が降ってて、新宿で。

 

そういえば、恋人と別れたのはカメラを買う数日前だった。

少しだけ思い出話をしようと思う。

 

 

「これからも一緒にいるわたしたち」というものを

別れ話をしてるその最中にも信じてやまない2人だったのに

それを選ぶなんてへんてこな話かもしれない。

けれど、わたしたちにはそれしかなかったように今になっても思う。

 

正しかろうが、間違っていようが、

わたしたちは自分のため、相手のため、

それよりもずっと多くの分量で「2人のため」に

あーでもないこーでもないとなかなか沸騰しないやり取りを交わしていた。

とにかく一緒にいるために危うくなってまで議論を続けていたのに

結局は、1年くらいの時間をかけてゆっくりゆっくり擦り減っていった。

 2人にとって困難となっていたのは

一緒にいることでも、持ち寄った気持ちの差でもなく、

悲しいことだけれど、『恋人』という在り方だった。

 

「おれたちはよくやったよ。お互いを思いやったし、だから最善を尽くせたね。」

一緒にお風呂に入りながら、彼が言った。

別れ話の決定打となるような事件はなかった。

その日はちいさな卒業式のような夜で、

わたしが泣けば彼は笑い、彼がしゅんとすればわたしが楽しそうにした。

どちらともなく、わたしたちは『恋人』という関係を手放し、

そうではない関係を2人で一緒に選びとった。

 

一昨日より昨日、昨日より今日、

少しずつだるく疲れてゆく相手を見ていることしかできない方が淋しいことだった。

『別れること』が終わりではないとすれば、物語に続きがあるのだからさみしくはない。

むしろ、どん詰まりで立ちすくんでるよりも、その先に揺れてる陽炎が見たかった。

わたしたちは編み物のように2人できつく編んだ日々や関係性を丁寧に丁寧に解いて、

すこしやわらかくなったその糸をまた編み直すことを決めて、選んだ。

『別れること』は、ゆるやかな絶望の中で見つけた希望の1つだったと思う。

 

こんな風に書いてしまえば、なんだかいいもののように思えるけど

これは「今」のわたしが後になって振り返ってる過去の話。

もちろん嘘ではないけれど。

生身の人間が2人でぶつかり合うのだから本当はもっとエネルギーに満ちていて

行き場をなくした感情がぎゅうぎゅうになって爆発の時を今か今かと待ってるような感じだった。

ドロドロとした苦い事情もあった。

わたしたちはただただ、どうしようもない2人組だった。

 

別れた後も、それからしばらくは以前となにも変わらなかったけれど、当たり前に変化は訪れる。

秋の深まるころに、わたしに好きな人ができた。

年が明けたら彼に新しい彼女ができた。

今は、前のようにはいかないけれどたまにメールくらいはする。

 

背中を向けるにも安心して向けることができる人だった。

押されることも

傷つけられることも

振り返ったらまるでなにもなかったみたいに

いなくなってることもないとわたしは知っていたから。

 

わたしたちに心配なことは1つもない。

「安心な僕らは旅に出ようぜ」と歌ったら、

俺たちのためにある歌かと思った!ってケラケラ笑い合えた。

編み直した何かがどうか、あったかい色をして

わたしたちがわたしたちのまま、豊かになれたらしあわせだなあと思う。