tayutauao

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6月20日、in steps

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今日うれしかったことは、CD10枚を1300円で借りられたこと。

今日やっちゃったなーて思ったことは、

部屋の窓を開け放して出かけたから部屋の中がずくずくになってたこと。

きつねの冬毛はまだ抜けきらない。もうすぐ7月だ。

 

江國香織さんの『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』の中の

「うんとお腹をすかせてきてね」が好き。

こないだの霧雨みたいな雨の日に久々に読み返した。

食べることは生きてることだし、セックスすることも生きてることだね。

その振る舞い1つ1つがうつくしいって、なんて素敵なことなの。

別々のケモノだけど生きてるってこと。一緒に生きてるってこと。

一緒に生きてゆくなら、この次元で心底惚れ惚れしちゃえる人と、だなあ。

「ああ、こんな風に水を飲むのか。」とか

「おいしいもの食べるときは目を瞑っちゃうよね」とか

ゆったりとして、たっぷりとして、世の中の雑多なことは忘れちゃって

きっと一生、知り尽くすなんてできないその生き物を両目で捉えながら

そのうつくしさにいつも打ちのめされて、その人がただ生きてることに驚くような。

ちがうことを知って果てなくゆたかになれたら、きっとわたしは深呼吸をする。

健やかで、正しくて、それだけで十分ってのがいい。

むずかしいことは抜き。

 

そういえば、本には色んな読み方があって

わたしもいろいろな読み方をするわけだけど

近頃のが1番素直でいいなあって思う。

何か答えになるような言葉を探して読むみたいな時もあるし、

書いてあることの後ろにある解釈の海に囚われて、

そのものを楽しめないような時もあるし、

もちろん読まなきゃいけないから読む、とかもあるし・・・

あんま楽しい読み方してないのがバレるね、これ。

 

ちょっと恥ずかしくなるような当たり前のことを言おうか。

読みたいと思って手にとった本なのにもったいないなあって思って、というか

読んだことのない本は、読んでしまったら読む前には戻れないから

その時の出会いを体中で喜んだり楽しんだりしようよと思った。

「きちんと」読むことにこだわり過ぎて、本読むの苦しくって、辛くって、

それでもとらわれたみたいにやめらんなくって、何やってんのって。

 

本は何回だって読めるし、何回だって出会えるけど、はじめては1回だけだから

理解してやるぜみたいな、手なづけてやるぜみたいな、そういうのやめにしてさ。

そんなの後だし、ぜんぜん後だし。必要なら後でやればいいし。

だって、わたしは本が好きなんだよ。

文字の上を視線がツルツルすべっちゃうなら休めばいいよ。

わかんないとこ、何回も読めばいいよ。

続きが気にならないんならその時じゃないから無理に読もうとしなくていいよ。

むずかしい本には相手されてないような気持ちになるけど、

そもそも読むための土台がないからって

「思うべき何かを思わずにいるんじゃないか」と怖くなったって読みたいなら読めばいいよ。

そういうようなこと。むずかしいことは抜きにして。

 

本だけじゃないねえ。

目の前で笑ったり泣いたりするあなたにも思うし

誰かの手から生まれてきたものにも思うなあ。

 

本が教えてくれるのは生きることだね。

大丈夫だからやわらかく、ゆったりとしてなよって自分にも言うしあなたにも言う。

むずかしいことは抜きね。

そろそろ星がみたいよー。

おやすみなさい。