8月19日、夜が明けたら
現像待ちしてる間、鴨川の土手でボーッとしていた。暑かった。
太陽が暴力的で目がヒリヒリする時間帯が過ぎていって、それからはずーっと空だけ見てた。
今日の空の色を絵の具ではつくれないことを思ったらこころ穏やかになる。
今日の奥行きも密度も音楽も詩も、何にも焼き付けられないことを思ったら
せつなくて軽くなって口の端がゆるくにじみそうになる。
にんげんはね、わすれたこともわすれてしまう しあわせでかなしい生き物だから
覚えていられないのはいつもほんのちょっとさみしいきもちがする。
なのになんだかホッとしてしまうのは、すーっと熱が引いていくみたいに、
波が寄せてはかえってくみたいに整っていく感じがするからと想像する。
わすれて、わすれて、わすれていく。
そして何もなかったみたいな顔して世界に、微熱の濡れた瞳に、
あの子のしあわせに、きみのふしあわせに、永遠に恋をする。
波寄せて、波行くように
光のとなりに影が在るみたいに
いま宇宙がはじまって、いま宇宙がおわっていく。
帰りの電車で、手の震えが止まらなくなった。
そうじゃない日は眩暈がするか吐き気がするか涙がでるか。
ほとんど条件反射なんじゃないかな、と冷静に考えている。
さいきんそれが普通になってきた。
ひとりで電車に乗るのがちょっとだけ億劫になっている。