8月10日、空をなくす
今年はじめてみかけたセミは死んでいた。
2度目も、そうだった。
3、4、5、6度目に見たとき、ぐしゃっと潰れたセミ爆弾。
セミは生きてても死んでいても、ツヤツヤと油を纏い、カラカラに渇いている。
7度目に見たセミは、死んでるように見えた。
自転車置き場の脇。
8月の強い日差しのあとに薄っすらとぼやけた夜。
街灯のぬくみのない白にぼうっと浮かびあがるソレは手術台の上の生き物というよりは
何か、もっと概念的な形そのもの、組み立てられたもののように見える。
吹いたら飛んでいってしまいそうな、かるいかるい何か。
触れてみたくなって2番目の指を伸ばしたら、鍵のような細い足が動き、指の腹にぶつかった。
一瞬息が止まるほどだったけれど、引っ込めることなく指先はそうっとソレに触れる。
足は空を切るときもあるし、動かないときもあった。
セミはあと5分もすれば死んでしまうのではないかと私に思わせた。
もう一度ジリリと障る声で鳴くことは、どうにも叶わなさそうだった。
やさしくなれないわたしは、どうしてもこのセミの消え入りそうな呼吸や熱を感じることができない。
血は流れているのだろうか。
このカサカサと音のする体をドロっと満たすものがあるのだろうか。
知らない。
もう死んでいると思ったのだ。
わたしはこのセミのいのちを知らない。
双子葉類の葉っぱの付け根みたいに細くかたい脚は、意地悪なわたしの指をへこませるのに、
行きずりのセミは確かに死にかけていて、けれど死んではいなかった。
それ以上も以下もなく、ただ「生きている」とあらわすには弱々し過ぎて、
その割り切れなさがわたしをひどく鬱々とした気持ちにさせた。
いのちが目からボロ、と落ちた涙みたいに思える。
むかしからあるなめらかな陶器のようにつるりとしたうつくしい曲線。
そうだ、うつくしいものの底は、かなしい。
ピンの先みたいな、色のついたマチ針の頭みたいな、まん丸な目を覗きこみながら、
わたしは弱く神経を刺激するいのちを不思議におもった。
このセミにはわたしの指のすこうし内側の赤い血の流れや、
やわらかい指紋の凹凸や、汗の流れる皮膚を感じることはできるのだろうか。
知らない、
けれどセミはわたしの指を離そうとしなかった。