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10月15日、カンボジア1

 

 

いろんなことから逃げるようにして、旅に出ることになった。

日が暮れるのが早くなってきた十月の最中。

 

 

4時起きで成田へ。

新宿で乗り換えミスをする。

焦ったけれど、乗るつもりのなかったスカイライナーに乗ったら待ち合わせよりはやく着いた。

空港までの道で思い出すのはメキシコから帰ってきた日もこんな曇りの日だったし、

最後に滞在したメキシコシティもスモッグや雲でこんな風に霞んでいたということ。

けれどあそこは太陽が近いから、たとえ曇っていたとしても空はうんと明るかった。

明るいからこそ雲の厚みみたいなのが分かる感じだった。

そんなことを考えながら、窓の外を見遣る。

電車が走るところは高い位置にレールが敷いてあるから、目線の高さに木の天辺がぞろぞろと見えて、林が多いところはまるで海みたいだ。

スカイライナーね、なるほどねって窓の外を見遣る。

 

旅に誘ってくれたのは深谷くん。

「おはよう。ひさしぶりだね。」

3ヶ月ぶりに会ったのが空港で、わたしからすれば信じられないほど小さな荷物を背負っていた。

(実際に深谷くんの荷物はわたしの3分の1の重さだった。)

高いわりにあまりおいしくない、もそもそとしたクロワッサンのサンドイッチを朝ごはんにした後に、まるでテーマパークのアトラクション待ちのごとき長蛇の列に並ぶ。

まずは上海に飛ぶ。それが私たちが今からすべきことだ。

同じ飛行機に乗る人たちは中国人ばかりで、みんな大きなダンボールや

人間がまるごと入ってしまいそうなスーツケースをカートにばんばん積んでいる。

リンゴを丸かじりする女の人が気になった。

一緒に立っていた気の弱そうな男の人のことも。

30分かそれ以上並んで、わたしたちも無事に荷物を預けて搭乗手続きをした。

 

飛行機は大きくて、席は窓側ではなかった。

真ん中4列の左から2席。

靴を脱いで離陸までに眠くなってしまった。

窓の外が見れないなら、飛行機は好きではない。

むしろこわいくらい。

 

「さむっ!」

上海は日本よりも寒くて、気温は20度もなかったと思う。

まわりは中国人ばかりで、1番強烈に放り出されてしまった気持ちがしたのはこの時だった。

それから次のフライトまでは6時間。

上海の空港では米ドルを使うことはできない。

何をするにもとりあえずはお金が必要だと悟る。

換金所のアクリル板の向こう側には、無愛想で早口なお姉さんが座っていた。

手数料の説明を受けるのに苦労したけれど、なんとか換金できた。

ファミリーマート(中国では全家と書く!)で飲み物とアイスを買って、

それからはベンチに座ってほとんど話せない英語の勉強。

レストランで食べた鶏肉は骨やその周りから赤い血がしたたっていて、

さすがに食べるのはやめておいた。

それから、お父さんの勤めていたレストランの上海支店があった。

わたしが生まれる8年前に、お母さんとお父さんが出会った店。

ちなみにお父さんも中国で働いていたことがある。

結婚する前に、長らくいたのは北京のお店で、天安門事件のときは大変だったと聞いた。

お父さんが何年か北京に行くことをお母さんが聞いたのは、出発の前日か2日前だったらしい。

実家の押入れに眠ってるでっかくてカビ臭いスーツケースの中には、

当時恋人同士だった2人がお互いに送り合ったエアメールがぎっしりと詰まっている。

 

1日に2度も飛行機に乗ったのは初めてだった。

上海からカンボジアの都市シェムリアップへ。

窓から見下ろす上海の街はオレンジ色で満たされている。

思っていたよりもずっときれいに整頓された上海の街並みがどんどんと遠くなっていく。

 

シェムリアップは豪雨だった。

タクシーは高いし、ゲストハウスはどうやら空港の人が心配するほど遠い。

不安になる。

 

結局、宿についたのは日付が変わるか変わらないかくらい。

びちゃびちゃと雨が地面を叩いて、水は跳ね返ることなく粘土みたいな地面をぬかるませる。

ゲストハウスの人はそれまで寝ていたようだ。

今日わたしたちが来るとは思ってなかったらしい。

ゲストハウスの白い壁にはマシュマロみたいなヤモリ。おおきいのもちいさいのもいる。

部屋にはベッドとテレビだけが置いてある。天井は白く、高い。

なかなか素敵な部屋だけれど、案の定、座るところのないトイレは水が流れないし、下水の臭いがちょっとする。

水シャワーかと危惧していたけれど、どうやらお湯はでる。もちろん勢いはとてつもなく弱い。

ザザーッっと手短かにシャワーを浴びて、タオルケット代わりのバスタオルとシーツをかぶって、

朝までぐっすり眠った。