4月1日、Duca
4月1日、桜が満開である。風もよく吹く。まったき春。
家からすぐの秋篠川にも図書館の前の佐保川にも立派な桜並木があってわたしはこの町が本当に好き。
歩道にぐうんと伸び重みで少し地球に近いその枝の下を自転車ですり抜ける。
ほとんど白くうっすら色づいたトンネルを
花のひとつ、ミツバチのいっぴき気にも留めず、
着地のビジョンを描き切った跳び箱の選手みたいな加速。大胆にペダルを漕いで。
なぜか海の、白く幾らか重たい水の泡立ちを思い出す。溺れるほどの春。
利用者というよりはむしろ花見客でごった返すいつもよりも騒がしい図書館の開架で、
エイミー・ベンダーの『わがままなやつら』を探していたら、
サルバドール・プラセンシアの『紙の民』を見つけ、恍惚の溜め息。体の力がフゥーっと抜けていく。
借りた本はどれも重くて(クリムトのドローイング集が1番重い)、
けれど図書館で借りなきゃこんなに重たい本を持ち歩くことがないので、
わたしにはなぜか少しだけこの重さが誇らしくて、しあわせである。
桜は満開で空はあおくて、でもわたしは春の白い曇り空の下の桜がすきだななんて考えている。
思ったよりも冷える夜に浮き上がる夜の桜がすきだなとおもう。
ぼんやり歩いてたらポロポロ泣けてきて、なぜだか生きててよかったっておもう。
あの子の分までわたしは桜を見ているし、あの人の分まできれいだなって心がいっぱいに満ちてる。
これっぽっちだけどそれ全部で風をきってる。だからよかったなっておもう。
あの子も、あの人も、勝手にうつくしくなってしまって完成してしまって、だけどわたしは生きている。
どんどんこすれてしまって、今も気楽さに浮かぶことなんかできずに、いつもとても大きな何かに追われて。
わたしはあの子だ、だからうつくしい花の季節にこんなに泣きたくなってしまう。
あの人はわたしだ、だからこんなに揺れてしまう。