4月7日、Every moments
「きっと夜中にものを考えすぎるんだ」
僕は笑って天井を見上げた。
「俺はね、夜中にものを考えるのを止したんだよ」と彼は言った。
*
どうにもならないことが多くままならず
朝起きてああ、今日はいい朝だななんて思うことはなく
朝はやはり憂鬱で夜の耳鳴りのせいか頭も重いけれど
それでも新しいことが始まる予感はそこかしこにあって気持ちは駆け出そうとする。
今日出会った人たちに、ああわたしはこの人たちといつか別れるのだねと思う。
世界はたしかにさびしいところだけれど、それはなにも特別なことじゃない。
静かに燃える炎をみつめてたい。
*
夜中にものを考えるのを止した人がいる世界で、わたしはそれを止めたくないと思う。
わたしは眠れないのではなく、眠りたくないんだって知っている。
夜中は死者の時間。
爬虫類のねぐらにそっと敷いてある湿った土の匂いを忘れてしまえば
地下で少ない空気を吸いながらそっと息を殺して助けを待つ人たちを留めなければ
テレビのスイッチを切ってしまえば
「とにかく」と現実に帰っていけるならば
アレコレ考えたりしなければ
生きていけるのかもしれない。
でも夜は祈りの時間だから。生者が死者に手を合わせる時間だから。
苦しい時間はたいてい夜にくるけれど
愛を育てたり、やさしさに触れたり、誰かの前で素直に泣いたり、
なるだけやさしく手を握ったりしたのは夜だった。
親密さというものをなめらかに濾したのも夜だったでしょう。
何より「朝まで起きてることにほんの少し罪悪感のあったわたし」に夜を教えてくれた人がいたのだ。
耳鳴りに起こされて、それからようやく夢をみる。
わたしには夜の右耳を忘れてしまうことなんて出来ない。
*
「俺はね、夜中にものを考えるのを止したんだよ」と彼は言った。
夜中にものを考えることをやめなければ
わたしはわたしの聖母に守られたまま、祈る手を水に浸すならば
夜を飛び越えてく意志だけ、手に持って運べるのならば
足についた泥を落とせないとしても
どんなにどうにもならなくても
世界一冷たく くたびれた やわらかな水みたいに佇んでいられる気がする。
関わるためには、考えることだ。
繰り返し、考えることだ。