tayutauao

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photo with kasumi

 



何度も何度も繰り返し書いてきたことだけれど
駅から家までの自転車道路には1つも街灯がない。
わたしの自転車にはヘッドライトがついておらず
夜になると自分の姿も歩行者もまったく見えなくなる。
よってわたしは自転車を降り、押し、歩いて家に帰ることになる。

母親や妹には「夜は危ないから車の通る道をとおるよう」言われるが
だからこそ、わたしは灯りのない道を歩く。
好き好んで、歩く。

そんな道。わたしのお決まりのジャーニー。
目的もなく真っ暗な夜道を歩く。お風呂上がり。

イヤホンをつけて耳がビリビリするほど大きな音で好きな音楽を流すこと。
友だちみたいな親しさの夜にそっと体を寄せる。踏み込む。
何か足りないものはある?
いいえ、足りないものは何もありません。
足りすぎているものもありません。
そのときわたしはつまづいたことがないわたしになったり、
つまづいたことがあるわたしになります。
だから確かめるように走ったりゆっくり歩いたり、3歩進んで2歩下がってみる。
つぶれてカラカラに干乾びたカメを思い出すこともある。
背伸びをする。道いっぱいに両手をひろげる。
つまづくこともある。つまづかないこともある。
誰もわたしを見ることはない。誰もわたしに気付かない。
誰かがわたしを見ている。誰かがいつもわたしに気付いている。
何か足りないものはある?
いいえ、足りないものは何もありません。
そういうフラットさで、きっとどこまでも行けることでしょう。

そこでようやく踊ることができます。
まるではじめて息をする赤ん坊のように、はじめて踊ります。

跳躍。回転。1度ちいさく屈み込み、それから沸騰。たちのぼる湯気になる。
すっかり夜に抱きしめられながらわたしだけが熱を発して踊り続ける。
意味づけることもそうしないこともできる一音、ステップ、着地、そして THE END。
to be continueを望みながら、終えることだってとびきりに愛することができる。
そういうとき、とても生きているなとおもう。
とても、とても、そうおもう。