5月21日、may
5月のはじまりは雨。
光がまあるくふくらんでいる。
あおく濡れた景色に安心したら眠れない。
体中の水分が抜けてくみたいだ。
そういえば、1年前の今頃見かけたトカゲはもうとっくに
死んでしまったのかもしれないなと思ったら少しさみしい。
今日みたものをだれに話そう。
*
つら、と並べた写真をぼうっと眺めてみる。
これはそう、写真を時間として捉えることに他ならない。
伸び縮みのない記号の時間や機械仕掛けに預けた時間ではない。
ここにあるのは、ひどくはっきりとしない、わたしの時間。
世界の内側にいるのにこうやって繋ぎとめた時間が遠心力みたく作用して
昨日より今日、今日より明日、わたしだけ世界の外側にはじき飛ばされてゆく。
いろいろな場面を忘れてゆく。
タンタン、と置いていく。
悲しくはない。惜しくもない。
ただちょっと心細いと思うことは、ある。
傲慢ではなかったか。
肩肘張って、頑なではなかったか。
この気だるい疲れは、ソレではないのか?
もう随分と遠いところに来てしまったような気もするし
本当はどこにも行ってなどいないような気もする。
どちらにせよもうきっと日々を、誰もその声で呼び止めはしないだろう。
起きたことも起こらなかったこともごちゃまぜにして
きみの振り向いた顔とか、わたしのたくさんついた嘘が
ほとんど気付かれない間に自分の地層をゆっくりと変えていくだけ。
わたしたちが覚えておくためにつくられたのなら。
わたしたちが忘れてゆくためにつくられたのなら。
たぶん、歌ってゆく。
たぶんまだ、出会ってゆく。
*
5月の終わりは約束通りにやってきた。
どうか、あなたが。
心からわらってるといいな。
たのしいことがたくさんあるといい。
うれしかったことも困り果てたことも、途方のないことでも。
今日みたものをいつかきっと話してくれたら。
***
公募写真展『may』のステートメント