6月28日、peace
「今日の私、平和の象徴」
そういって男の子はえへへと笑っていた。
誰も死ななければいいのにとわたしたちは祈った。
こんにちは
窓をあけているとひんやりと冷たい空気が部屋に流れ込んで
だれかの大丈夫、大丈夫という世にもやさしい声が聴こえてきます。
今日もわたしは書きたいことがない。仕事もない。あそびもない。
ベッドから出ようともしない。休日らしい休日。日常。
ちからの抜けたわたしのことを男の子は少女だ、と言いました。
少女は夢を見る。
星の流れた夜中の海を思い出している。
曇りの日の曇りをそのまんま受け入れている。
部屋に一輪、凛と咲くバラの匂いをかいでみる。
あたらしい夢を見ることに憧れている。
「この瞬間が永遠になればいいのに」
それはほとんど愛のようでした。
愛というかぎりないものの何かにふれたような気がして
もいちど、今度はひとりで、誰も死ななければいいのにと呟きました。
いつも、わたしたちは忘却のために作られているのだと考えます。
それは何度でもあたらしい歌を歌えるように
それは何度でも恋ができるように
それは何度でも深い哀しみから立ち上がれるように
そして写真を撮ります。詩を書きます。深い愛情を持って。
「あったこともなかったことにしてあなたのこと安心して忘れてあげる」
それは薄情なことでしょうか。いいえ、愛情深いことです。
忘却の彼方には、いつも何かが残る。
わたしはうれしいという気持ちを伝えようと思います。
いつか忘れてしまったり忘れられてしまうかもしれないけれど。
それが生きている証だからです。