5月7日、日常
ひさしぶりに体やこころの調子がわるい。
家中の電気が夜中につかなくなる夢を見たり
死んだ恋人の(あの、いつもの)夢を見たりした。
朝から夕方までどっぷりと眠ってしまった。
横たわっていると、知らぬ間にずうん、と眠りに落ちる。
仮死したように。深海を泳ぐように。
せめてクジラのこころで泳げたなら。
体はぐぐんと重たいのに走りたい。
はじめて間もない夜中のランニングは
結局、まだ1度きり。
数年ぶりに動かした体はきゃあと悲鳴をあげて
筋肉痛が治ったら雨が降ってきた。
昔は雨が好きだった。
好きな人がくれた雨の音を自宅でサンプリングしたCDも好きだった。
サザンオールスターズの「思い出はいつの日も雨」というフレーズも好きだった。
本当に目が悪い。
眼鏡を外したら雨の日の車の中から見る世界のように
光が拡散して遠近感が少しなくなる。
そんな風に。
なにを見ても聴いても、思い出せるようにずいぶんとがんばっていたのに
思い出の残像はぼやけ、滲み、夢のあわいのようになってしまった。
いくら自分のさいわいを許せるようになってきたとはいえ
思い出の中で生きてきたその未練はまだまだわたしを離してはくれない。
仄暗いグレーの今と過去の往復をする日々。
持久力もないから、ときおり息が切れるだけだ。
こころも体もわたしのことをだましてはくれない。
人生は頭で考えることではなく
生きてみることではないだろうか
知ることではなく
歩いてみることではないだろうか
そんなことを言っている人がいた。
生きるとは人生とは何かを問うことではなく
人生からの問いに応えることだと
「夜と霧」の作者は言っていた。
あしたもこのこころと体で生きていく。