5月20日、フューチャー
街を歩いている人たちの服がピンク、水色、黄色になって
やっと季節のゆるまりを知る。
草花。人の気配。愛する人。
上がってきた写真は1枚1枚ですごくいいと言うよりは
36枚で1つの物語のようになっていて
わたしはわたしの写真のそういうところが好きだ。
生活の音が痛くしみた季節を思い出す
ひとりの部屋にはわたしの分の生活しかない
お母さんの作ったご飯を食べたくない、と泣きながら食べることも
無理やりお風呂に入らなきゃいけないことも
目に見えるように、耳に聞こえるように心配されることもない。
それでもさみしくてわたしには大きすぎるベッドにパソコンや本を持ち込んで
ようやく安堵の涙を流す。
ひとりの体を抱きしめるにはひとりの方がいいこともある。
ただ空を見上げるのには、ほめたたえるのにはひとりの方がいい。
だからこそ、恋人に感謝をしている。
わたしよりも少しばかり大きくてあたたかいその体で
ちゃんと愛してくれてありがとうと思う。
生きるときに死ぬことを愛していたい。
死ぬときに生きたことを愛していたい。
わたしだけの人生の中で忘れたくない感覚。
苦しみや悲しみがなくては生きていけないのかと問われたらyesだ。
影が濃い分だけ光の強さを知る。
それは本当のことだと今もわたしは信じているから。
わたしはわたしの足跡を消して起こったことを綺麗事にしようなんて思わない。
どうせ、憂鬱なことですら、あたらしい希望の中にうずもれてゆくのだから。