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tayutauao

text / photo

6月2日、slow dance

 

遠足から帰ってきてもうねむたいんだけど

えんやこらーとレポートを書いていた。

頭回んないから、まだまだ終わらなーい。

気分転換に日記書いてる。

レポートも、卒業論文も、誰かに宛てる手紙も、感想文も、

この瞬間にこうやって書いてる日記でさえも、今のわたしには大変なことだなとつくづく。

 

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浄水ポットの水がポトポト落ちてくるのに人より時間がかかる。

それに加えてそのポットの精度があまり良くない。

ろ過のための炭とか砂粒とかが混じっちゃって、ありゃりゃ、みたいな。

こわくて誰にも飲んでって言えないなあと思ってたけど

「ちょっと気をつけたら飲めるよ」とか

「炭入ってても死なないから大目に見てね」くらいのこと言わなきゃ

わたしは自分の浄水ポットの水の味を忘れてしまいそうだ。

 

 

知ることと、内に落とし込むことと、それから外に出せることは本当に違う。

込めた力のこわばらせる筋肉が、それぞれに違う。

ピリリと緊張して逆にゆるんだ体がそれを知る。

あ、これもひとつ、実感とか経験というのだろうね。

 

なんというか、そういう体験を春になってから

学校にまた通うようになってから、よくするようになった。

一コマの中で、インプットとかアウトプットとかできるだけすべてをやろうと試みる。

(それを授業の中で求められることもあるし、そうじゃないこともある。)

そうすると、ドリブルしてるボールが自分よりも早くコートの端へ逃げてってしまうみたいに

頭がもつれて、どうしようもなくなることがある。かなりある。

それが1日に2回とか、3回とか。

パン、と切り替えるのにもそれなりの集中力。

 

「卒業するために」大学に通っていない。

けれど「卒業する」ことは、何が何でも果たすと決めた。

どう考えても必要ないなあとおもう授業も

この授業は一生受けても足りないかもしれないとおもう授業も

卒業するためには必要で、「数値化可能なそれ」についてだけいえば

1つ1つの重さというか価値みたいなものは同じなんだよなあと不思議な気持ちになる。

必要だってわかってるのにまだ、目標達成に必要な一欠片をぐずぐずと揃えられずにいる。 

 

流されやすいわたしには「楽に単位とれたらいいのになー」と思う授業がある。

「大変でも難しくてもそんなことはどうでもよくって、とにかくこの講義を聴きたいんだ!」

と、一切の情熱を傾けられる授業や先生にも出逢う。

実際にはどうにか楽をしようとするし、甘ったれてしまうから恥ずかしい。

けれども、だ。大勢の中に紛れ込んで、背もたれのない、木のかたーい椅子に座っている間。

あまり熱心に学校に行くわけじゃないわたしだからその口が何を言うんだと笑われるかもしれないが

少なくともここに座ってる間は、楽なんてロクなもんじゃないと思う。

と思いながらも、あくびしちゃう毎日。

 

 

なんか眠くってよくわかんなくなってきた。

なにが言いたかったんだっけ。

今コーヒー飲みたいなあと思ったら、芋づるみたいに

コーヒーと何かをすすめてくる近くのセブン-イレブン

若くてかっこいい店長さんの笑顔を思い出した。

コーヒーと焼き鳥。

コーヒーとチロルチョコ

 

 

うん、そうだな。

いつも、ろ過を待つのはもどかしい。

ただ、ようやく落ちる最初の一滴がどれだけの感動かをよく知ってる。

 

 

oyasumi