tayutauao

text / photo

10月22日、カンボジア8

5:00に起きて準備、バス、空港。

朝、起きてからもわたしはまだくらくらしていて、すこし体があつい。お腹の調子もよくない。

少しは分けてもらえたかなと思ったけれど、深谷くんの熱は上がっていてちょっとだけがっかり。

聞くとだるさは少しマシになったみたいだった。

水分摂って、熱を放って、汗かいてたからだな。

もう本当に帰るだけだからとりあえずはよかった。

 

8:30の搭乗予定だった飛行機。

今のところ(48)まだ待ち時間みたい。

深谷くんはきらきらひかるを読んでいる。

プレゼントしようと思ってわたしが持ってきた。

一緒に読んでたら、くらくらしてた頭が落ち着いてきた。

本を読むときの呼吸の仕方がちょうどいいのだろうか。

 

深谷くんが本のページを1枚ずつ捲ってゆく。

その瞬間に「一緒に時間を過ごす」ということを想った。

寝起きの顔を見て、起きたらおはようと声を交わし合う。

食べ物を飲み込む瞬間の喉の動き、なだらかな肩の線。

歩く速度や歩幅、どんな風に視線を滑らせてゆくのか。

体調が悪いときの呼吸の仕方、目がとてもきれいなこと。

好きな飲みものの種類、どんな風に人と接するのか。

お風呂上がりの濡れた髪の質感、体の力が抜けて眠りに落ちていくその瞬間。

そういうことを意識して見ていたわけではなかった。

けれど、覚えている。

誰かと一緒に過ごすというのは、そういうことなのだ。

わたしは彼と旅をして、ただ一緒に1週間を過ごした。

それはもう、人生の中でとても貴重なことのように思える。

疲れて体調もすこぶる良くない芝居の稽古帰りにふと上を見上げて見えた流れ星のような、

過ぎてしまってからふわっと香り立つ花のような、

そういう軽やかな重量感がわたしの視界を彩っていた。

 

飛行機はなぜか新しい機体だったようで、1つ1つの席にディスプレイが付いている。

映画や音楽やゲームを楽しめるようになっていた。

深谷くんはオセロとテトリスをしてた。

そういえば宿で、寝るには早いからオセロしようかってなった時に、

わたしがルールも曖昧にしか覚えていなくって、あまりにも弱そうすぎたから

途中でやめてしまったのだけど深谷くんは本当にオセロが上手だった。

そんなに取られてて大丈夫?とそわそわしていたら、

最後の方に相手の色をバーッと自分の色に変えてしまう。見ていて面白かった。

練習するから今度やろうよって言ったらいいよって言ってくれた。

 

成田に着いて、そのまますぐに帰ることにした。

京成線に乗って、深谷くんはひと駅。わたしは日暮里まで。

まるで何にもなかったみたいにさらりと手をふって、またねと言ってバイバイした。

 

 

起きて、寝て

起きて、寝て

起きて、寝て

起きて、寝て

起きて、寝て

起きて、寝て

起きて、寝て

 

そのあいだに食べたり、歩いたり、笑ったり、驚いたり、

風が心地良いと感じたり、鶏の声で目覚めたり、

食べ物の匂いに鼻を利かせたり、知らない国の言葉を覚えたり

見たこともない光景を見たり、暑さの中で何度も汗を拭ったりした1週間。

たったの、1週間だった。

 

旅の間、わたしたちのことを知る人はひとりもいなかった。

言葉は通じない。

ここへ来た目的も、理由も、何者なのかも関係性も、仕事も、何を信仰するのかも、

これからどこへ行くのかも誰も知らなかった。

 

それは旅の自由だ。

 

わたしは就活中の冴えない大学生としてそこを訪れたのではなかった。

生活の場に必ずある社会的な属性やしがらみや人の目から逃れて、名前のない人間になる。

守ってくれるものは何もない。水のようにどこにでも流れて行けた。

まるで裸で外を歩くような言い知れぬ開放感と、それと同じ分量の心細さや寄る辺のなさ。

ひとりだったらどうなっていたことだろうと思う。

わたしたちは多分どこからもはみ出していた。

普段は隠されているネコのするどい爪みたいに、野生の嗅覚を隠し持ったまま街を歩いた。

のんびりと観光をしているように見えても、集中は途切れることなく、いつもどこかで緊張していた。

生きることと生活することと過ごすことをすこしだけ近づけて、もしかしたら何かの拍子に危ないことに巻き込まれるかもしれない、自分たちの力では何ともならないような大変なことが起こるかもしれない、死んでしまうことだってあるかもしれないという考えをお腹の底に温めていた。

それは、本当はどこで生きていても関係なく持っているものではあるはずだけれど、普段の生活ではついつい忘れてしまっているか、どこか隅っこに追いやっている。

裸であるということは敏感になるということだ。

そういういつもは鈍らせている感覚を、肌で感じ取っていた。