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4月22日、ひまわりの詩

 

会ったことのないきみに向けて手紙を書きます。

ほんとうに会ったことがないのか、とか

年齢とか性別とか知らなくてもいいのです。

どこかで出会ったことがあってもいいし、同い年でも、男でも、女でも

アメリカ人やトルコ人でも、一向にかまいません。

けれどわたしは親しみを込めてきみに手紙を書こうと思います。

なぜそんなことをしようかと思ったのかというと、忘れてしまいそうだったからです。

 

―何を?

 

と聞かれたら、うーんと困ってしまうのですが、とにかく忘れてしまいそうなのです。

それは言葉かもしれないし、“ねえ”という呼びかけの甘さかもしれないし、

0.5ミリの筆先がカツカツと音を立てて白紙を埋めていくその地道さかもしれない。

あるいはそうやって埋められた1枚の紙切れの永遠性みたいなものかもしれない。

 

それから世界には軽い言葉がひしめいていて、

あらゆるところで飛び交っていてもうなんだかそれに疲れてしまったのかもしれません。

誰の言葉も、誰の涙も、誰の愛も、誰の喜びも、誰の死も

10.5ポイントの明朝体(或いはゴシック体)に画一化されてしまって、

熱も表情も匂いも沈黙の間も分からなくなってしまって。

誰かの前で泣きたいときに、誰の前で泣きたいのか分からなくなって、

本当はだれの前でも泣いていないこともあるよね。

そしてあらゆる人が今わたしが涙を流していることを知っていて、

それでもわたしはいつもひとりで布団の中でシクシクと泣いている。

雪の降った日に感じた違和感をそのまま携えて、その鐘が鳴り止まなくて、

いつでも足をザーッと洗ってやれると、飛んでいってしまえると、

思っていたのに沼に足を突っ込んでいたんだよね。

 

知っていてもらいたくて、認められたくて、

弱いからそれだけで繋がってるものを振りきってしまえなくて、

あってもあるだけなのに、何に安心してるんだ?と思ったりもしている。

“わたしはきみとぶつかりたい” 

握手したい抱きしめ合いたい肩と肩を寄り添わせたい

 

わたしはきみに向けて言葉を綴りたかった。

誰かひとりのために書かれたものだけが存在してくれていれば、

どれだけ疲れてしまっても世界は生きるに値すると思ったのです。

きみにとってもそうであれば嬉しいなと思います。

 

きみは大事なものがなにか知っている。

どうかこの1枚の紙切れをわたしの込めた筆圧を

もうすぐ本当の冬が来る、その前夜の匂いを

それらがきみだけに向けられたものであることを素敵なことだと受け取ってください。

それだけが届けば幸いです。

 

2014.11.23

 

***

 

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わたしはわたしのことばで語る前に大人になることがこわい

この気持ちをどんなふうにしたら伝えられるだろう

この不安を、この寄る辺なさを、この可能性を。

もしかしたら、この手紙はだれでもない自分に向けて書かれたものかもしれない。

それでもやっぱりわたしの大切な人たちに届けばいいなと夢をみる。