8月3日、クライベイビー
7月、なんやかんやと風も日差しもまだやわらかに感じた。
うずもれたひらがなをひとつひとつ拾うようにして
青く伸び続ける草の間を歩いていたら
強烈に照りつける太陽の光、吹けば熱風の8月がやってきていました。
1日に5年を脱ぎ捨てているような気持ちでいるのに
わたしはもうすぐ25歳になる。
久しぶりに本の話しでもしましょうか。
後藤正文氏の『何度でもオールライトと歌え』の帯に
「俺たちの時代で、断絶を起こしたくない」という言葉があった。
わたしは瞬間的にギャレット・ホンゴー氏の『ヴォルケイノ』を思い出す。
ーわれわれのはじまりは、ひとつの揮発性の秘密であった。ー
ー次の世代の者が自分たちが何を失ったのかすら知らないままに何かを失い始めるー
そしてこのようなことがギャレットの「慢性的な意気消沈」の原因であると彼は気づく。
本来の自分であること、自分が何者であるかを知ることを遮られているために、
彼はヴォルケイノの湯気のようになってしまう。失うことがどこかへ隠されてしまう。
語り伝えられることもなく、時代や世代の息継ぎの油断にそっと忍びこむ湯気。
けれど、それは失ったことはなかったことにはならない。
わたしの父や祖父が失ったものは、たとえわたしがその経験をしなくとも
ぽっかりと穴をあけたままなのである。そこには虚空がある。
「平和」とか「愛」とか「自由」という言葉の
使えなくなった世界を想像する。
たしかにそのような時代はあったはずなのに
わたしたちはそれを失ったことがあると知らないままに、
またそれを失い始めてはいないだろうか。
your eyes still got the light
now you wake up to live your life
to live today to live today