tayutauao

text / photo

9月7日、1983

f:id:tayutauao:20160907231637g:plain

 

「60階っていう高さを想像したことがある?」

 

 

f:id:tayutauao:20160907231727g:plain

 

それが一体地上から何メートルの高さがあるかなんてわからないけれど

それは虹のふもとが見渡せる高さです

それは高速道路で起きた事故が見渡せる高さです

それは歩いている人間が米粒みたいに見える高さです

 

人間はどうして高いところに登ろうとするのでしょうか

そしてどうして高いものをつくったりするのでしょうか

 

f:id:tayutauao:20160907054056j:plain

 

「作ることは祈ること」という言葉。

その通りだとすればこれは祈りの塔ってこと。

 

 

 

 

9月4日、モメント

f:id:tayutauao:20160904141556j:plain

 

8月が去って9月がやってきました

9月は誰も思い出さないと歌ったのは誰だったか。

晩夏。

みなさん夏の疲れがたまってはいないでしょうか。

世界は今日も眩しかったでしょうか。

ここは(ここはというのは病院ですが)

中庭がうつくしい。

洗濯物がゆるゆらと揺れて

青い草がぐんぐんんと伸び

樹木が木漏れ日を作ります。

いつもうつくしいものを見ているのは

わたしであり、あなたであるのです。

 

「俺は初めてあなたの誕生日を忘れたよ」と

昔の恋人が誕生日にメッセージをくれました。

ひどくセンチメンタルなように聞こえるけども

この一言が、時間の流れを感じさせ

忘れていたわたしのことを再び生き返らせた。

とても嬉しいことのように感じました。

”俺たちはきっとうまくは生きていけないから”

という一言に、わたしと彼がまだ恋人同士であった頃のこと

とびっきりの友人であり、仲間であり、

家族であった頃のことを思い出しました。

 

わたしはまだ彼のことをあいしています。

あいしているというのは、彼の生を喜び、

健やかであってほしいと願う気持ちと

あの頃に戻れたならと切なく願う気持ちです。

でも、物語にはそうさせない力がある。

そんなことをすれば、動き出している何かが否定され

崩れ去ってしまう何かがある。

だから「愛してるよ、ありがとう」と返事をしました。

他意なく、わたしの全ての愛情をもって。

 

私たちの別れの時、彼は

花でも送ることがあるかもしれないと言いました。

連絡すらままならなくなってしまったけれど

わたしはいまだにそれを待っている。

 

さてタバコでも吸ってこよう。

おやすみなさい。

8月19日、もうすぐ夜があける

f:id:tayutauao:20160819082417g:plain

 

 

今日も暑くなりそう。

最近は「書を捨てよ、町へ出よ」な毎日です。

灼熱にこの身をさらして流れてくる汗をぬぐう日々です。

 

夏は苦手なはずなのに大切な季節だなと思います。

誰もが思い出す季節、だからでしょうか。

わたしが夏生まれだから、でしょうか。

いずれにせよ過ぎ去ってしまえば呼び戻したくなるような

そんな季節であることに変わりはないでしょう。

 

恋人と別れることになりました。

「とにかく健康でいてください」

最後に言われたのはそんなことでした

そしてわたしは長かった前髪を切り

高い化粧品を買って武装をした。

いい匂いのするファンデーション

真っ赤なルージュ

色とりどりのネイルカラー

「ひとりでも強く生きていけますように」

少しの寂しさを感じながら、そんな願いを込めて。

 

夏は苦手だけれど、きっとわたしは

この季節を何度も忘れることでしょう

この季節を何度も思い出すことでしょう

 

それでいいのです。

顔や声や仕草を忘れていくのです

かけてくれた言葉や笑顔を思い出すのです

それでいいのです。

それはそれで、素晴らしいことだからです。

 

 

 

 

8月16日、antique

f:id:tayutauao:20160816061934g:plain

 

やさしく書くこと

外来語を避けること

目に見えるように表現すること

短く書くこと

余韻を残すこと

大事なことは繰り返すこと

頭でなく心に訴えること

説得しないこと

自己満足しないこと

一人のために書くこと

 

「暮らしの手帖」花森安治の『実用文十訓』は

素晴らしいから覚えておかなくちゃと常々おもっている。

 

 

 

 

8月3日、クライベイビー

 

 

 

7月、なんやかんやと風も日差しもまだやわらかに感じた。

うずもれたひらがなをひとつひとつ拾うようにして

青く伸び続ける草の間を歩いていたら

強烈に照りつける太陽の光、吹けば熱風の8月がやってきていました。

 

1日に5年を脱ぎ捨てているような気持ちでいるのに

わたしはもうすぐ25歳になる。

 

久しぶりに本の話しでもしましょうか。

 

後藤正文氏の『何度でもオールライトと歌え』の帯に

「俺たちの時代で、断絶を起こしたくない」という言葉があった。

わたしは瞬間的にギャレット・ホンゴー氏の『ヴォルケイノ』を思い出す。

 

ーわれわれのはじまりは、ひとつの揮発性の秘密であった。ー

 

ー次の世代の者が自分たちが何を失ったのかすら知らないままに何かを失い始めるー

 

そしてこのようなことがギャレットの「慢性的な意気消沈」の原因であると彼は気づく。

本来の自分であること、自分が何者であるかを知ることを遮られているために、

彼はヴォルケイノの湯気のようになってしまう。失うことがどこかへ隠されてしまう。

語り伝えられることもなく、時代や世代の息継ぎの油断にそっと忍びこむ湯気。

けれど、それは失ったことはなかったことにはならない。

わたしの父や祖父が失ったものは、たとえわたしがその経験をしなくとも

ぽっかりと穴をあけたままなのである。そこには虚空がある。

 

「平和」とか「愛」とか「自由」という言葉の

使えなくなった世界を想像する。

たしかにそのような時代はあったはずなのに

わたしたちはそれを失ったことがあると知らないままに、

またそれを失い始めてはいないだろうか。

 

f:id:tayutauao:20160803190653g:plain

 

your eyes still got the light

now you wake up to live your life

to live today to live today