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9月22日、僕の宇宙

 

幾つかのことを思い出してみる、順不同に

ー両手の指から溢れるほどの桜の花弁

ーいい匂いのする香水のつけたての手首の内側

ーわたしじゃ物足りないといった男の子

ー窓際の虫をプツリと殺したつまらなかった英語の授業

ー終わりの感覚

 

生きることとは過去を思い出すことなのかもしれない。

わたしは過去を思い出して生きてきたからそう思うのかもしれない。

 

いつも派手な遊びの後ろには虚しさが隠れていて

わたしはそいつがとても恐ろしくもあり親密さも感じていた

 

もう戻れない青春時代というものが誰にでもあって

そのことがわたしをほんの少し柔らかくする

そう、もう戻れない場所ばかりが増えていくね

 

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思い立って真夜中の海に出かけた

海には恋のものがたりが必須だから

わざとカメラは持って行かなかった

 

土砂降りだった雨が止んで月明かりが辺りを照らした

はしゃぐ母親が少女のように見えた

潮風で髪がベトベトになった

足をつけた水がまだ暖かく夏の匂いを残していた

それだけで十分すぎる夜だった

それだけで美しすぎる夜だった

 

いつも派手な遊びの後ろには虚しさが隠れていて

その夜わたしはそいつに切なさとしか言えないものを感じていた

 

 

photo by R

 

 

 

 

 

9月15日、フィラメント

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季節のはなしから始めようにも

今は春ではないし夏ではないし冬ではないし

秋なのだけれどそうとも言い切れない。

この中途半端な季節にもきっと名前が付いていて

でもそんなこと知らずともスキップして生きていける

私たちはとてもかわいい。

 

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今日も煙草はおいしくない。

おいしくないのに手放せないなんて

こんな理不尽があっていいのでしょうか。

でも後ろに生きている緑が美しくて

ああ、これを見るために止められないのかもしれない

そんなことを思いました。

 

「ここへやってきてくれたあなたに、

 この瞬間、わたしはとても正直だとおもいます。」

 

いきなりですが、瑣末な自分のことを考えてみます。

いきなりなようでいきなりでないのですが。

「後ろに生きている緑が美しい」ことが

わたしをそうさせるのです。

世界は今日もキラキラときれいです。

 

さて、じいっと自分の足元を見てみる。

わたしの見えている範囲なんて

ちいさな自分の足

薄汚れて擦り切れそうな黄色い点字ブロック

隣に並ぶサラリーマンのくたびれた革靴

たったそれだけです

 

一体、わたしの心は何に大きく反応し、何にうまく反応できないのか。

 

わたしの見えないところの世界で、あの子は涙を流しているかもしれない。

わたしの見えないところの世界で、ロケットが宇宙へと飛び出していったのかもしれない。

わたしの見えないところの世界ではあまりに哀しく凶暴な戦争が行われ、

今もたくさんの人が死に続けています。

 

わたしは飛び越えることができないのだろうか。

わたしは向き合うことができないのだろうか。

わたしは本を閉じきることができないのだろうか。

 

In dreams begin the responsibilities

わたしたちの責任は想像力の中から始まる

 

 

もう一度、わたしは自分の足元をじいっと見つめる。

 

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ここへやってきてくれたあなたに、

この瞬間、わたしはとても正直だとおもいます。

 

 

 

 

9月7日、1983

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「60階っていう高さを想像したことがある?」

 

 

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それが一体地上から何メートルの高さがあるかなんてわからないけれど

それは虹のふもとが見渡せる高さです

それは高速道路で起きた事故が見渡せる高さです

それは歩いている人間が米粒みたいに見える高さです

 

人間はどうして高いところに登ろうとするのでしょうか

そしてどうして高いものをつくったりするのでしょうか

 

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「作ることは祈ること」という言葉。

その通りだとすればこれは祈りの塔ってこと。

 

 

 

 

9月4日、モメント

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8月が去って9月がやってきました

9月は誰も思い出さないと歌ったのは誰だったか。

晩夏。

みなさん夏の疲れがたまってはいないでしょうか。

世界は今日も眩しかったでしょうか。

ここは(ここはというのは病院ですが)

中庭がうつくしい。

洗濯物がゆるゆらと揺れて

青い草がぐんぐんんと伸び

樹木が木漏れ日を作ります。

いつもうつくしいものを見ているのは

わたしであり、あなたであるのです。

 

「俺は初めてあなたの誕生日を忘れたよ」と

昔の恋人が誕生日にメッセージをくれました。

ひどくセンチメンタルなように聞こえるけども

この一言が、時間の流れを感じさせ

忘れていたわたしのことを再び生き返らせた。

とても嬉しいことのように感じました。

”俺たちはきっとうまくは生きていけないから”

という一言に、わたしと彼がまだ恋人同士であった頃のこと

とびっきりの友人であり、仲間であり、

家族であった頃のことを思い出しました。

 

わたしはまだ彼のことをあいしています。

あいしているというのは、彼の生を喜び、

健やかであってほしいと願う気持ちと

あの頃に戻れたならと切なく願う気持ちです。

でも、物語にはそうさせない力がある。

そんなことをすれば、動き出している何かが否定され

崩れ去ってしまう何かがある。

だから「愛してるよ、ありがとう」と返事をしました。

他意なく、わたしの全ての愛情をもって。

 

私たちの別れの時、彼は

花でも送ることがあるかもしれないと言いました。

連絡すらままならなくなってしまったけれど

わたしはいまだにそれを待っている。

 

さてタバコでも吸ってこよう。

おやすみなさい。