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tayutauao

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1月23日、YAMABIKO

 

わたしのとこ、風が強い

あなたのとこ、風は吹いている?

 

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冬、そういってしまったら、おしまいでしょう

雪、そう書いてしまったら、かなわない

 

あなたに出会った季節のこと

束ねておく必要は、どこにもない

 

’書くこと’は罠だ

 

書く時間はとてつもなく、つらく、こわい。

風呂にも入らない日々が続くことだってある。

弔いに向かう面持ちで、ペンを握る。PCに向かう。

やりたくない、とごちる。

けれどつづけていることなど、他にない。

 

誰になりたくて歩いているんだろう

そう言っていた、わたし

歩き出す。

今はもう迷いがない。

 

 

「わたしは風だ」

そんなふうに思っていた。

「去り際のタイミングを掴み損ね」たまま

なつかしい場所でいつまでも揺れているだけの。

あたらしい夢を見ることに憧れたままの。

青の時代に手をつないだ人たちの温度を魔法瓶にいれたっきりの。

何かが変わってく予感に鈍感なままの。

 

けれど風は吹いていた。

いつも、そこに吹いていた。

どこに連れてくのと見上げたそばから

はたりとやんでみせたりするから

風、そうだね、

わたしは自分で歩いていこうと思うよ。

 

 

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ねえ、風。

あなたが知ってる朝が見たい

 

 

 

 

1月18日、夏の恋人

 

こんにちは。

本日はお日柄もよろしく・・・なんてご機嫌に

始めてみるblogもありかなあなんて思いながら

きのう、おとといまでの寒さのやわらぎに

うっとりとしている今日の午後です。

 

昨晩はめずらしく恋人よりも遅くに眠りにつきました。

朝方まで熱く友だちと語り合ったり、

また別の人と禁煙や禁酒を約束しあったり、

また別の人からは独白のようなあの、

夜中独特のメッセージが届いたりしました。

日々の中でだって、というよりかは

私が寝てしまっている時間にだって

本当はとてもドラマチックな瞬間があるのだと思うと

おちおち寝てる暇もないな、と思うのでした。

 

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中村梨々さんという詩人の方がいらっしゃいます。

もうそろそろ4年前になりますが、個展をした時に

『たくさんの窓から手を振る』という詩集を

プレゼントしてくださいました。

今でもわたし、その詩集が大好きなのですが

少しだけ、出せないままでいる手紙をここに残しておこうかな。

 

 

「読めた」というのも「わかった」というのも詩には本当に似合わない言葉で、

だからうまく云えなくて、けれどドキドキしていて、ざわざわとこころ踊るようです。

一緒のはやさで走り抜けることができたような気持ちです。

洗われたような清々しい気持ちです。(ちょっと泣いたからかもわかりません)

踊るといえば・・・わたし、夏に芝居をやったのですが、

その稽古で’白舞踏’という練習がありました。

パッヘルベルのカノンに合わせて絶えず体をゆーっくりと動かして

可動域を広げてゆくという、なんとも素敵な練習です。

なんだかそれをやっている時の、伸びやかな感じとか

すーっと全部がとどまったり、淀んだりすることなく流れてゆく感じは

梨々さんの詩にも感じられたことだな、と今書いてて思いました。

・・・

死んだ恋人のことと、旅のことを思い出しました。

自分が旅をしていたことよりも、

自分が旅をしていない時に旅をしている誰かにとっての

旅の風景の一部となった自分のことやその誰かを想ったというのでしょうか。

私たちが行くことのできない地球のどこかで

今もクジラが泳いでいるのを想像するような、

広がり方が好きだと思いました。

・・・

『たくさんの窓から手を振る』は本当に素敵な詩集です。

窓はわたしにもなじみ深いもので、思い入れのある言葉だから余計かもしれません。

装丁も大好きです。

・・・

ここまで来たところで、やっぱり何も書けてない気もしますが

今夜わたしは心細くなくて、梨々さんの詩が

わたしの窓をあたためてくださったのだということだけでも伝わってくれれば幸いです。

 

これから本格的な冬がやってきます。

どうかお体だけは大切になさってくださいね。

それではまた。

 

 

どうして手紙を出せないまま4年も経ってしまったのかわからないけれど

切手まで貼って出さずにいたその手紙がここに残っていたので

また自分が色々なことを思い出すという今があります。

「手紙」というのはその時の自分のカタワレのようなものだとつくづく。

今まで出したことのある手紙にわたしは一体何を託してきたのだろう。

 

ふと思ったこと。

好きな人たちの好きな写真はどうしても

正面からカメラに視線をもらってるものが多い。

シンプルに、好き。それに尽きる。

 

一緒にお昼を食べたお母さんの元同僚のおじさんに

「遠くの大好きな人よりも近くのちょっと好きな人だよ」と言われて少し悲しくなった今日。

恋人の写真を見て、シンプルに、好き。それに尽きる、とおもった。

 

 

 

 

1月12日、strobolights

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AM 7:05

冬の朝は気持ちが晴れたり曇ったりする。

それはなにもかもを放り出した窓にかかった

カーテンを引くときにやってくる感情の潮のこと。

まるでわたしたちの人生のような緩やかな波。

 

 

AM 9:34

お正月も終わり、また味気ない日々が舞い戻ってきました。

「あなたが寂しさを感じているのがわかる」

そう言われたことを不意に思い出して

そうっと後ろを振り返る。誰もいやしないのに。

寂しい、がなんだというのだろ。

みんなそうなんじゃないの、と言葉を飲み込む。

 

 

AM 11:56

うつむきながら生きているわけじゃない

千鳥足で歩いているだけ。

 

 

PM 14:21

机の上で冬のバラがもう10日ほど咲いてくれている。

こちらのことばで言えば咲いてくれてはる。

いつも使っていることばなのに、ぬくみを感じる。

 

 

PM 15:03

もう聞き飽きてしまった音楽には

いつもほんとうのことが眠っていた。

共感だとか、それが大切だとかではなく

気高くほんとうのことだけが眠っていた。

 

 

PM 15:09

あなたに触れれば触れるほど

分かち合った時間は、

ずっとはんぶんこでいたいと願う

 

 

PM 17:14

誰からも理解されないことと、誰からも理解されること

一体どちらがつらいことなのだろう。