8月19日、none
小説の一部
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家に入っていって、ベッドに横になれば、すべて元通りになるような気がした。
そうすれば、フロッギーもわたしも幸せになる。
でも、後戻りして物事をやり直させてくれない力がある。
そんなことをすれば、もう動き出しているものが否定されて、
文章は消されて書かれなくなってしまい、
わたしのものではない物語が描く軌跡は短くなってしまうから。
家に入って、「フロッギー、出て行ってしまってごめんなさい」とさえ言えたら。
彼を抱きしめて、シャツのボタンを外して、髪についた花びらを取ってあげられたら。
それができたら、わたしにはこの戦争を戦う理由なんかない。
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twitterに残したメモ
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血とか痛みに強くなったように思ってたけど、
近付き過ぎただけなのかもしれないと思ってどうにかなりそう。
ほんとは子どもの頃より敏感になっていて、痛がりで、怖がりで、
麻痺してて、なにかとてもいいもののように置き換えてるだけだよって。
ぜんぶわかんなかったけど、
甘えって単語をものすごい耳元で叫ばれた気がして跳び起きた
死んだ人のことを思い出したりしなくなったのに
わたしがこじれてるのは一体なぜ?
忘れられるのがこわい。
「忘れる」ことは「忘れられる」ことだと思ってる。
だって 覚えてなきゃ全部なかったことになるから。
意に反して、どんどん忘れっぽくなってるのを体が拒んでるということ?
それなら本望だと思いたい。
どんなに些細なことでも、「後戻りできない」っていうような
ある種ギリギリな選択や運命を手にとってしまってる感ある。
都度、後悔しても後悔しないって本気で思う。
後悔はしていないけど、
受け入れるには体が ちと小さいなと思うことばかり。
しあわせになることはこわくない。
しあわせってのは あらゆることを
忘れてしまうからしあわせなのであって、
忘れるのがこわいわたしは
きっとちゃんとしあわせにはなれない。
それに生きるには物語が必要だと思っている。
しあわせはそれ自体が目的になるから、
なにか別に寄り添うものが要る。
ノックし続ける木が必要。