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3月25日、のうぜんかつら

働いているところの事務所には

「好きになれば何事も続けられる」という言葉がかかっている。

少し乱暴なその言葉に、ぱっと励まされることがある。

素直なものだ、と乾燥しきった肌を撫でる。

 

夢を追いかけることにしたら、生活にメリハリがつくようになった。

途端に輪郭を持ち始めたそれに、今、戸惑うことはない。

失うものはなく、足りないのはお金と健康な体だけだ。

叶うものと叶わないものがあって、ふわっとうずくまりそうになる。

やりたいことのある人生を、やっと好きだと思った。

 

誰かの甘い言葉も、つらい時の涙も、愛も、聖母も、

寝返りを打つばかりの布団にくるまっている。

いつのまにか、ほとんどを寝て過ごしてきた。

そのくせは抜けずに、今日も寝癖がひどい。

 

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暖かかくて、柔らかく、

それ以外をどれだけちからづくで立っていたかを思い知る季節。

優しい気持ちで空を見上げる時には広がっていくものだけを感じる。

もう蕾は膨らみ始めていて、お母さん、とつぶやいた。

 

 

 

3月4日、voice

 

 

今日はとてもとても暖かくて、動き出す

桜色の服と薄いグレーのパーカーを羽織って、動き出す

髪はくるくると寝起きのままで、動き出す

明日乾く涙を拭わずに、動き出す

 

何にも考えずに、体だけになることは難しいこと?

宇宙的なスケールで、あたまを揺らすのは可能なこと?

メモのような生きてることそのもののような

このカキモノに名前をつけるなら何にしよう?

 

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わたしには愛しかないから

だからきらめくものがある

それは時々、水面にうつった道のように揺らめく月明かりみたい

それは時々、体の中に蝶が舞うみたい

 

あなたの中にわたしはわたしを見つけるし

わたしの中にあなたはあなたを見つけるの

 

非日常がわたしを迎えにこないから

わたしが非日常になってきみを迎えに行こうと思うの

いいアイデアでしょう?

 

 

 

 

3月1日、17歳

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いろんなところがいたくって

うまくねむれないそんな夜

 

あの子のなだらかな肩が

わたしの地平線だった頃

 

まるで幼いままの反逆精神で

どこへも行けないと知りながら

どこまでも歩いたあの日

 

だれかに愛されたくって

それ以上にだれかを愛したかった

 

生きづらくて生きづらくて

見せつけるようにして開けたピアス

痛みに何かを逃したけれど

なにを逃したのかは今も分からない

 

すべてをかけて信じることは

いつも とても むつかしいことで

世界は少しだけ愛しづらいまま

 

わたしはなにか変わっただろうか

 

 

 

 

3月1日、僕らしさ君らしさ

 

とびきりの3月

ささやかな春の匂い

だからというわけではないにせよ

リビングに咲いてはったカーネーション

何輪か摘んで部屋の流木に吊るした

 

コットンフラワー

紫陽花

バラ

かすみ草

ユーカリ

 

ドライフラワーは好きだ

触るとぱらりぱらり

繊細な出で立ち

軽くなったからだ

カサカサと揺れる姿に

思考、発想をもらう

 

部屋にはマリアの十字架がかかっている

いつかタトゥーにして首の後ろに入れたい

 

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知らない人に会いたい

いちばんに会いたいのは見知らぬまんまに別れる他人。

死んだ恋人だった人に似ている人と横断歩道ですれ違ったことがある。

声をかけることもできずに、ただただ目で追った。

肩をぶつけたかった。

すみません、と言ってそれだけでよかった。

その人は知らない人だから。けれど知っている。

 

思い出そうとするとついてこないものが多くて

こんなところまで歩いてきたのだと思い知る。

冬、終わるのが悲しいなあ。

恋人だった人が死んだのは冬だった。

バラバラの感覚を束ねる時ほど野性的な時間は切実なものとなる。

わたしのゆるゆらとした時間の中で

そんなことも起こるのだ、と切なくなった。

 

ゆるやかな今だけの坂道をのぼる

まだ足指の冷えは取れないにしても

来たる、春

わたしは桜を見て泣くのだろうか

センチメンタルを許して。

たったひとりきりで美しくなってしまった人を思い出させて。

 

 

 

 

 

 

2月28日、神様

 

朝には朝の

夜には夜の

 

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何もできなかった

何者にもなれなかった

続けてきたことは

ただ、書くこと

 

読んできたものは

時に友人のようにわたしを支え

時に聖母のように暖かく拾い上げ、救い上げ

時に悪魔のように孤独の淵へわたしを追いやった。

 

好きな本に、「学問には王道しかない」という言葉があります。

ペンを握るのが私の道ならば、私は近道などせず、「王道」を歩みたいと思いました。

この場合の王道とは、歩くのが易しい道ではなく、

勇者が歩くべき清く正しい本道のことを意味します。

 

それは人間の美しい生き方を表しています。

美しいというのは、そういう姿勢を表す言葉だ、と恩師に習いました。

「さて、王道はどちらだろう」と考えると、それは大抵、

歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道の方でした。

 

ニーチェの書いたデーモンが語ったように、

人生を桁外れに愛おしく思わなければならないとすれば、

永久に繰り返す人生を望む超人になるためには、

美しく生きねばならないと私は考えます。

何ら新しいことはなく、苦痛も快楽も、考えも溜息も、

生の言いようもなく小さなことも大きなことも私に帰ってくるのであれば、

たった1点、信ずるべきものがないといけない、それが美しさだと思ったからです。

 

わたしはどこへ舟を漕ぎだそう。

たったひとりきりで、どこまでも行こう。

朝には朝の

夜には夜の

その時にしか歌えない歌を歌って。